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イビチャ・オシム氏から始まった日本らしさを活かさずに、結果として「(ルールを無視したファールでも負けないぐらいの)当たり強さを求めている」のが現在のJリーグのファールの基準なのだ。

日本サッカー苦肉の戦術

戦術を活かそうにも、本来はファールとして取られるべきものが取られないのでは、戦術を考える以前に個を強くすることを考えざるをえないのだ。
または、相手と当たりの少ないサッカーをするしか無い。

日本サッカーに戦術は必要

現在(2015年7月)なでしこジャパンが体の二回り以上大きいイギリス相手に対し、戦術を駆使して戦って勝ち進んでいる。
今までのシリーズを通しても戦術が重要であることは間違いなく、研究や実践をJリーグで繰り返し、本当の日本らしさを身につけねばならないのだが、それが審判の判定により出来ないのだ。
例えば、本来狭い場所であればファールを貰いやすく、自分たちの思惑(戦術)通りに前に進める(組み立てられる)はずが、ファールを貰えずにカウンターをされたりすると、この戦術は役に立た(成り立た)ないと判断される。
ここで諦められた戦術は体現されることもなく、その先も実践されることはない。
戦術的感覚(全体における個人のポジショニング)も育たず、ただ個人技とフィジカルの強い選手が育っていくのだ。

審判のあるべき判定

サッカー協会の方向性は、まるで言葉の綾として審判の判断基準へと伝わり、「結局はフィジカルだ。戦術なんて意味が無い。」そう判断させる結果になっている。
本来は通じるのに自国内で通用しない(と思われる)戦術は、世界戦では採用されるわけもなく、世界に対向するために打ち出したサッカー協会の判断は間違った方向に向いている。
審判のこれからのあるべき姿は、当然ながら強い当たりとファールの区別ははっきりとつけ、本来のルール通りの判定をするべきだ。
「当たり前でしょ…」と思われるかもしれないが、あまりの判定の酷さに「え~…」となるのが現在の判定なのだ。

邪魔をしているのは教育観念

「審判の判定は従うのが教育に良い」と言われるが、教育の話を出すのであれば、間違っていることにははっきりと「間違いだ、おかしい」ということも教育だろう。
確かにルールやモラル、教育も大切だが、プロレベルでは教育よりも本筋を通した上での話だ。
アマチュアとプロのジャッジはしっかりと分けてほしい、と言っても勘違いしてはいけない。
現在のジャッジ方法は教育など無関係にただの誤審の連続なだけである。