ビギナー向け!サッカーの戦術ブログ

サッカー日本代表がW杯ベスト8の壁を打ち破る為の戦術(タクティクス)をビギナー(初心者)でも分かるように分析します!土曜日の19時更新目標!

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【戦術面ではオシム・ジャパン最強?】指揮官イビチャ・オシムの特徴とは?

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 2006年W杯ドイツ大会が終わると日本代表監督にイビチャ・オシム氏が就任した。ジェフユナイテッド千葉の監督をしていたのだが、日本サッカー協会が強引に日本代表監督にしたような気がする。
大学同期の友人がジェフユナイテッド千葉のファンであり、当時激怒し「納得できない」と連呼していたのを今でも覚えている。

 日本代表にフィリップ・トルシエ監督が就任し、日本にも戦術という言葉が浸透したはずだった。 しかしベスト16では満足せずに散々「やはり日本サッカー界にはジーコしかいない!」と始まり「名選手名監督にあらず」と終わったブラジルサッカー界伝説のジーコ氏を経たことで、サッカーをかじった人であれば誰もが呑みながら戦術やシステム(フォーメーション)を話すようになった気がするのだが…

オシム監督の基本戦術

 2015年当時の著者ビリーの独断と偏見なのだが、トルシエ監督以来、唯一「これが新しいサッカー日本代表の戦術か!?」と戦術の未来が開けたかのように感じたのがイビチャ・オシム氏であった。
ジェフユナイテッド千葉を監督としてまとめ上げた戦術は単純で具体的なのだ。

トータルフットボールで走る距離を増やす

 あまりイビチャ・オシム氏に詳しくないビリーが語るとファンに怒られそうだが、オシム監督が基本とするサッカーのスタイルは、ちょっと古い言い方をすればトータルフットボールだ。

 トータルフットボールとは昔のオランダサッカーを象徴する言葉だったらしく、簡単に言うと「全員攻撃と全員守備」だそうで、全員が走る距離を増やして攻撃と守備に参加するスタイルだそうだ。

カウンターに始まり、速攻、追い越してポジションチェンジし、フォローしながら走って攻撃を続ける。
この戦術がオシム監督の基本となる。

最も基礎的な攻撃はカウンター戦術

 個人的に印象に残っているオシム監督の戦術はカウンターである。
「ボールを奪取した瞬間、最小の手数で相手ゴールを目指しなさい。それがカウンターだ。」とTVで話し、「あぁやっぱり日本代表って最も単純な戦術であるカウンターが出来てなかったんだな」と思ったの覚えている。

「サッカーなのに手数とはこれいかに」と思いながら聞いていたのだが、通訳さんはどう思っていたのだろうか。

オシム監督の「戦術の日本化」

 すでに世界で指折りの指揮官と言われていたイビチャ・オシム氏は、日本人の特色や特徴が大きく二つあると言う。
外人と比べて体は小く器用その他精神面で協調性がある。勿論『当たり強さ』もあれば良いが、追求したものではない」。

 次に目指す戦術的特色として、「黄色人種であるアジア人が得意な中長距離を用い、状況に合わせた攻防をする」。

 日本人はあまり意識できないが、世界を渡り歩いてきたオシム監督からすると日本人は世界で最も協調性のある民族らしく、最も組織的戦術に向いていると判断できたようだ。

ではなぜ日本代表が組織的戦術を出来ないのか!?

日本サッカー界に組織的戦術の知識と経験が無いからと推察できる。

環境に合わせた多彩な戦術

 状況に合わせた攻防というだけあって、戦う環境により戦術も多彩であった。

 2007年に東南アジア4カ国「タイ、マレーシア、インドネシア、ベトナム」の共同開催で行われたアジアカップでは、猛暑のためボールを保持する時間を増やすポゼッションサッカーも展開した。
選手や監督として世界を渡り歩いてきただけあり、戦術の引き出しの多さに毎試合息を飲むように引き込まれたのを覚えている。

 前述したカウンターをする際、中盤で想像以上にもたつくことが多かったり、決定機をことごとく外したりと結果は4位と振るわなかったが、ポゼッションや押し込み続けた戦術としては圧倒していたのではないだろうか。

 ボールのポゼッションで圧倒したにもかかわらずゴールを決められない状態を見たサッカー記者に「本当に日本人らしいサッカーだww」と周りに流されて決める日本人の優柔不断さを揶揄されたのも印象的だった。

オシムの基本システムの一つ442

 前田 大久保
山岸     遠藤
 鈴木  中村憲
駒野 阿部 中澤 加地

オシムの基本システムの一つ4231


松井  遠藤 中村俊
 稲本  鈴木啓
駒野 闘莉王 中澤 加地 

ラインコントロールは無かったハズ

 記憶の限りで申し訳ないのだが、確かオシム監督はラインコントロールをしようと提案していたはずだった。
ところが選手が怖がって避けたような記憶がある。
そしてオシム監督が「怖がっていては進歩がありませんよ。」と答えたが、あれは別の監督だったのだろうか。

 手元で確認できるアジアカップを見る限り、オシム監督とともに出場したアジアカップでラインコントロールは確認できなかった。
この時点で日本代表がオシム監督の下で再びラインコントロールを取り入れていたら、日本代表の戦術はどこまで伸びていたかと思うと悔やまれる。

多彩な戦術は進化を止めなかったのだが…

 それまで日本人は組織的戦術をないがしろにして4231のシステムでただ個人的戦術に頼り切るのみだった。
しかし試合を重ねるごとに多彩な戦術を展開し、それはまるで「戦術を知らない日本人に知り得る限りの戦術を見せている」かのようだった。

 

 しかし2007年11月17日、オシム監督は脳梗塞で倒れることになり、日本代表監督も退任することとなる。